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東京地方裁判所八王子支部 昭和52年(ワ)812号 判決

原告 立飛企業株式会社

被告 国

代理人 細井淳久 津田真美 ほか二名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  被告は原告に対し別紙第一物件目録記載(一)ないし(三)の土地を、右(一)の土地についてはその上に存在する別紙第二物件目録記載の建物及び付属物置その他の工作物を別紙土地占有者目録記載の当該建物等の所有者らまたはその承継人らに収去させ更地としたうえ、それぞれ引渡せ。

二  被告は原告に対し、別紙第三物件目録記載の建物を別紙建物占有者目録記載の占有者らまたはその承継人らを右建物から退去させ空家としたうえ引渡せ。

三  被告は原告に対し昭和五二年八月六日から前二項の引渡完了に至るまで一箇年金一四五七万六一四二円の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

(請求の趣旨に対する答弁)

主文同旨

第二当事者の主張

(請求原因)

一  原告の所有権

原告は昭和三〇年五月以前の旧商号を立川飛行機株式会社(以下立川飛行場という)といい、第二次世界大戦中、左記(1)ないし(6)の工場施設を所有して軍用飛行機の研究・製作に従事していた。

(1) 立川工場 立川市高松町一丁目五〇番地所在

敷地 二万坪

建物 一〇棟延八三六四・八坪

(2) 砂川工場 北多摩郡砂川村所在

敷地 一二万八七四〇坪

建物 五三棟延五〇五六八・三三坪

(3) 付属病院 北多摩郡砂川村所在

敷地 二万七〇〇〇坪

建物 一一棟三二一一坪

(4) 高松寄宿舎 北多摩郡砂川村所在

敷地 二万七〇〇〇坪

建物 二三棟九九二五坪

(5) 江ノ島寄宿舎 北多摩郡砂川村所在

敷地 一万五二六九坪

建物 本造平家及二階建八棟延六五九九坪

(6) その他

専用側線 三五〇〇メートル

コンクリート造積卸場及上家一棟五〇坪

看視所 五ヶ所

なお、別紙第一物件目録冒頭記載の土地は前記(5)記載の敷地に、また、同目録(一)、(二)、(三)記載の土地(以下、本件土地という。)は右敷地の一部にそれぞれ該当し、同第三物件目録記載の建物(以下、本件建物という。)は前記(5)記載の建物八棟のうち現存する唯一の建物である。以下、右(5)記載の敷地および建物を江ノ島寄宿舎地区という。

二  連合国軍による接収使用

終戦後、昭和二〇年九月四日より連合国軍は前項記載の原告の全工場施設を順次占拠し始め、同月二九日には第八軍司令部から横浜終戦連絡事務局に対し右工場施設を使用したい旨の申入がなされ、同日、終戦連絡中央事務局第三部長の原告に対する命令により、以後右工場施設が連合国軍に接収使用されることとなつた。

三  接収事務の運用

連合国軍が日本において私有の土地等を接収する必要に応じるため昭和二〇年一一月一七日より勅令第六三六号土地工作物使用令が施行されるに至つたが、接収のうちでも接収使用に関しては、政府の実務上の取扱方針として、右勅令による強権的な接収使用を控え、連合国軍最高司令官の「調達要求」に基づき政府が当該物件所有者から当該物件を賃借したうえ連合国軍へ提供するという方法が一貫して採用されており、この政府の取扱方針は右勅令施行の前後を通じて変ることなく、また、講和条約発効後昭和二七年五月一五日、日本国に駐留するアメリカ軍隊の用に供するための土地等の使用収用に関し、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基く施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法」(以下、特別措置法という。)が施行された以後も、従前の政府が物件所有者から賃借したうえ駐留軍に提供するという方針が踏襲されている。

四  本件土地建物の接収後の経緯

ところで、第一項記載の原告の工場施設全部について連合国軍は国有の施設であると誤認していたため、第二項記載の接収使用に際して前項記載の連合国最高司令官の「調達要求」は発せられず、その結果として右工場施設につき接収当初は原告と政府との間に賃貸借契約が締結されなかつたが、原告の補償申請が実を結び本件土地建物を含む江ノ島寄宿舎地区に関しては政府の部局としての特別調達庁が昭和二三年四月一日原告と賃貸期間を昭和二〇年九月二九日より同二四年三月三一日までとする賃貸借契約を締結し、昭和二二年一〇月以降同二三年九月までの賃料を支払つた。そして連合国軍により接収された原告所有の工場施設のうち江ノ島寄宿舎地区を除く地区については昭和二五年二月二〇日原告と特別調達庁との間に土地建物賃貸借契約が締結されたが、当時後記のとおり駐留軍又は国が事実上占有を継続していた江ノ島寄宿舎地区については土地建物賃貸借契約が締結されないまま放置された。一方、江ノ島寄宿舎地区の現実の利用状況についてみると、昭和二〇年九月頃第七空軍第一三九部隊が江ノ島寄宿舎地区を占拠し、砂川工場地区の建物の復興及び立川基地の新建設に伴い順次同地区に移駐し、右占拠は翌年九月頃まで続いたが、右部隊の撤収に際し当時の右地区担当のアメリカ軍監督官が建設業者らに対し右地区の使用を許可した。しかし、昭和二三年三月四日に至り駐留軍から右建設業者らに対し右地区に対する接収解除の通知が、また、同月一九日には右地区に対する電力、水道の供給を三〇日以内に停止する旨の通知がそれぞれなされたが、右各通知は原告に対してはなされなかつた。その後、昭和二八年六月東京調達局東立川出張所が右地区の測量をするなど昭和二八年頃までは駐留軍または国が右地区を事実上占有していたが、国はそれ以降右地区を原告に返還するでもなく、また自ら使用するでもなく、全く無関心の裡に荒廃の進むに任せて放置していた。以上の結果として、かつて駐留軍または前記建設業者らにより本件建物に入居を許された駐留軍労務者またはその承継人ら(その氏名は別紙建物占有者目録記載のとおりである。)は現在も依然として右建物に居住しており、他方かつて本件土地上の東側にあつた寮一棟(右駐留軍労務者はフインカム寮と称していたので、以下フインカム寮という。)に同じく入居を許されていた駐留軍労務者またはその承継人ら(その氏名は別紙土地占有者目録記載のとおりである。)は、昭和四七年九月三〇日右寮が焼失した跡地にたちまちのうちに別紙第二物件目録記載の各建物を建築し、本件土地を占有している。

五  本件土地建物の接収解除時期、昭和四八年六月二八日、接収された原告の工場施設のうち立川工場地区及び高松寄宿舎地区の一部が接収解除となり、次いで昭和五一年五月三一日アメリカ軍の横田基地への移駐に伴い、それ以外の本件土地建物を含む全工場施設の接収が解除され原告に返還された。

なお、被告は遅くとも昭和二四年三月三一日までに連合国軍が江ノ島寄宿舎地区の使用を止め同地区から撤収したのであるから、同地区は同日頃接収解除となり原告に返還された旨主張するが、接収財産の返還については、特別措置法以前の勅令土地工作物使用令第七条には所有者又は占有者に通知すべきことを定めており、その後の特別措置法第一三条にはさらに詳細な手続を定めているが、原告は本件土地建物を含む江の島寄宿舎地区については右勅令による返還の通知又は特別措置法第一三条に定める返還引渡の手続を受けていない。

更に江の島寄宿舎地区のうち本件土地を除く土地は原告が工場等の敷地として現に占有使用中であるが、それは、原告が昭和三六年に東京地方裁判所八王子支部に対し右地区の不法占有者四六名を相手方として建物収去土地明渡訴訟(同庁昭和三六年(ワ)第五六号事件)を提起し、右四六名のうち二〇名と代替地を提供して新たな賃貸借契約を締結する和解をし、その他の被告を自発的収去若しくは強制執行により排除し、昭和四〇年頃多額の費用と労力を費いやして占有を回収した結果であり、本件土地建物はその後も依然として別紙建物占拠者目録記載の占拠者に不法占拠されている。

右不法占拠者は前記のとおり本件土地建物を接収した駐留軍又は連合国軍の必要から軍自身もしくはそれ等より使用を許された建築業者によつて入居させられた者であるから、その意味で、本件土地建物は昭和五一年五月三一日アメリカ軍の横田基地の移駐にともなう全面接収解除までは事実上接収されていたといわなければならない。

六  特別措置法第一一条一項に基づく接収土地等の原状回復請求並びに損害賠償

特別措置法施行(昭和二七年五月一五日)前に駐留軍によつて接収され現にその用に供された土地建物で、同法施行後同法附則二項、七項、八項に基づいて所有者に返還されなかつた土地建物は現実に駐留軍がこれを継続して使用していたか否かにかかわらず、同法第一一条のいう「この法律により駐留軍の用に供した土地」に当るものというべきである。

ところで本件土地建物は前第二項記載のとおり昭和二〇年九月四日連合国軍に接収された後、連合国軍或は国から所有者に返還されず、連合国軍或は国の事実上の占有下におかれたまま特別措置法が施行され、その後同法附則に基づく返還手続がとられず、昭和五一年五月三一日全面接収解除になつたのであるから、現実に駐留軍が使用していたかどうかにかかわらず、特別措置法の注意より見て同法第一一条の適用を受ける接収財産と解するべきである。被告は連合国軍の使用が継続されていても調達要求書(P、D)が発行されていないから連合国軍最高司令官の要求に基づく使用ではない旨主張するか、前第二項記載のとおり本件土地建物は昭和二〇年九月二九日日本に進駐した米軍第八軍司令部の要求により終戦連絡中央事務局の命令に基づき接収されたもので、接収手続上の過誤から調達要求書は発行されなかつたが、特別調達庁が昭和二三年四月一日原告と、連合国軍の使用に供する目的で賃貸期間を遡る賃貸借契約を締結しているのであるから、まさしく連合国最高司令官の要求に基づく使用が行われた土地と同視すべきであり、調達要求書の不存在という枝葉末節の事実をたてに特別措置法の適用を拒むのは条理上も許されない。もし調達要求書がなければ同法の適用がないとすれば、昭和二〇年一一月一七日勅令第六三六号土地工作物使用令による接収財産や原告の主張の工場施設のように右勅令施行前の何等法的根拠に基づかない政府の命令による接収財産については国は何等原状回復義務及び損害補償義務を負わないことになり、法適用上著しく均衡を失することになる。

ところで旧憲法第二七条は「日本国民はその所有権を侵されることなし」と規定し、新憲法第二九条は「財産権はこれを侵してはならない」と定めているのであるから、旧憲法下に国が駐留軍の要求で接収した個人所有の土地建物を新憲法下において接収解除に伴い個人に返還する際は、財産上の損害を与えないよう原状に復すべきことは当然である。特別措置法第一一条はその当然の事理を前提として接収した土地等の原状回復が著しく困難であるとき、又は原状回復しないでも有効かつ合理的な使用を妨げないときは原状に回復しないで返還することができる旨の例外的な措置を定め、且つ、原状回復についてこのような例外的な措置に不服がある者は原則に立返つて原状回復することにつき内閣総理大臣に異議を申出ることができる旨を定められている(同法第一二条一項)。

そこで原告は同法第一一条により、接収された土地建物の接収解除に基づく原状回復請求権に基づいて被告国に対し請求の趣旨第一、二項の判決を求める。

又原告は被告が右原状回復義務の不履行或は、故意又は過失により本件土地建物を原状に復することなく原告に返還したことにより、原告の本件土地建物の使用収益を妨げ、原告に対し賃料相当の損害を与えているので、原告は被告の債務不履行又は不法行為に基づき訴状送達の日の翌日である昭和五二年八月六日から右原状回復に至るまで少くとも別紙地代家賃相当損害金計算書に基づく賃料相当損害金の支払を求める権利を有するところ、その金額は右計算書記載のとおり一箇年一四五七万六一四二円となるので、原告は被告に対し昭和五二年八月六日から右土地建物明渡済みまで一箇年一四五七万六一四二円の支払を求める。

(請求原因に対する答弁)

一  第一項の事実は知らない。

二  第二項のうち江ノ島寄宿舎地区を除く原告主張の各工場施設が終戦直後に米軍に接収されたことは認めるもその余の事実は知らない。

三  第三項の事実は認める。

四  第四項の事実中、被告が原告主張の立川工場、砂川工場、附属病院、高松寄宿舎を原告から借受け、連合国軍の用に供したことは認める。被告または駐留軍が江ノ島寄宿舎地区を昭和二八年頃まで占有していたことおよび被告がそれ以降右地区を放置していたことは否認し、その余の事実は知らない。

五  第五項の事実のうち、原告主張の頃原告と江ノ島宿舎地区の占有者との間に原告主張のような裁判上の和解が成立したこと、右地区を除く立川飛行機の各工場施設が原告主張の頃接収解除となつたことは認める。本件土地建物が昭和五一年五月三一日に接収解除になつたことは否認する。その余の主張は争う。

六  第六項は争う。

(被告の主張)

一  特別措置法第一一条一項の不適用

原告は特別措置法第一一条一項に基づき本件土地建物の原状回復及び賃料相当損害金の支払を請求する旨主張するが、右条項は「この法律により駐留軍の用に供した土地等」について適用されると規定されているところ、右「土地等」とは同法一条、三条、五条から明らかなように内閣総理大臣の使用又は収用の認定を受けた土地を指すのであるが、本件土地建物については右認定手続が何らとられていないから、同法第一一条一項が適用される余地はなく、原告の請求は理由がない。また、本件土地建物については、連合国軍に提供されたことがあつたとしても、駐留軍に提供されたことはないから、この点からしても同項は適用されない。なお、原告の主張を同法附則二項を根拠に本件土地建物が駐留軍に提供されたものとみるべきであるとの主張に善解するとしても右附則は特別措置法施行の際(昭和二七年五月一五日)連合国最高司令官の要求に基づく使用を現に継続している土地等の返還について適用されるところ、本件土地建物については原告も自認するとおり遅くとも昭和二四年三月三一日までに連合国軍がその使用を止めており、その後に連合国最高司令官の要求に基づく使用が開始された事実はないから、右附則を適用する余地はない。かりに、特別措置法施行の際においても右使用が継続されていたとしても右附則二項にいう「連合国最高司令官の要求」は昭和二二年三月六日以後は連合国最高司令官の発した命令昭和二一年三月二六日OD第三三号「日本側物資、施設及びサービスの調達に関する件」に基づく方式化された調達要求(PD)を第八軍軍政部調達課が集約し、日本政府に交付する方式によつてなされていたところ、本件土地建物を含む江ノ島寄宿舎地区の接収については右「調達要求」が第八軍軍政部調達課から日本政府に交付されていないから連合国最高司令官の要求に基づく使用とはいえずこの点からしても右附則の適用はない。

又仮に本件土地建物が右附則二項、九項により特別措置法第一一条一項の適用を受ける「土地等」に当るとしても同法第一一条一項は、駐留軍の用に供した土地等につき一定の場合に原状回復をしないで返還することができる旨を定めた規定であつて、直接的に原状回復請求権の発生根拠となる規定ではない。

二  消滅時効

かりに、被告が特別措置法第一一条一項に基づき、本件土地建物の原状回復義務を負つているとしても、原告の有する同条に基づく原状回復請求権は以下の理由に基づき時効により消滅している。すなわち、連合国軍は遅くとも昭和二四年三月三一日までに本件土地建物の使用を止めており、また、右土地建物についての原被告間の賃貸借契約は同日、期間満了により終了しているから、原告は昭和二四年四月一日以降いつでも被告に対し右接収解除或は賃貸借終了に基づく右土地建物の原状回復を請求できる状態にあつたのである。

従つて、原告の本件土地建物に対する原状回復請求権の消滅時効の起算日は昭和二四年三月三一日と解すべきであるから、それより一〇年を経過した昭和三四年三月三一日右消滅時効が完成し、右原状回復請求権は消滅している。かりに、原告の主張するとおり連合国軍又は駐留軍が昭和二八年頃まで事実上本件土地建物を占有していたとしても、右占有は前記のとおり「調達要求」に基づかないものであるから、被告の関与しない占有であつて、被告との関係で右消滅時効の進行に影響を与えないし、また原告の主張によつても遅くとも昭和二九年一月一日には連合国軍又は国の事実上の占有は終了していると見るべきであるから、原告はその時からいつでも右土地建物の返還及び原状回復を請求できる状態にあつたのである。

従つて、原告の右土地建物の原状回復請求権の消滅時効の起算時は昭和二九年一月一日と解すべきであるから、それより一〇年を経過した昭和三九年一月一日右消滅時効が完成し、右原状回復請求権は時効消滅したものである。従つて右原状回復請求権があることを前提とする原告の債務不履行に基づく損害金の請求は理由がないし、前記のとおり被告は本訴状送達の日の翌日である昭和五二年八月六日当時から現在(昭和五七年五月二九日)まで本件土地建物を占有していないから原告の被告の不法占有を理由とする損害賠償請求は理由がない。

(被告の主張に対する原告の答弁)

全て争う。本件土地建物についての原状回復請求権の消滅時効の起算日は請求原因第五項記載のとおり、原告が接収解除により請求原因第一項記載の全ての工場施設の返還を受けた昭和五一年五月三一日と解すべきであるところ、原告は昭和五二年七月一一日本訴を提起し、右時効は中断しているから、被告主張の消滅時効は未だ完成していない。

第三証拠<略>

理由

一  原告の所有権

<証拠略>を綜合すると原告主張の請求原因第一項の事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

二  連合国軍による接収使用並びに接収後の経緯

<証拠略>並びに弁論の全趣旨を綜合すると、ほぼ原告主張の請求原因第二、第四項の事実(但し昭和二八年頃まで駐留軍又は国が江ノ島寄宿舎地区を事実上占有していたとの点は除く)並びに次の事実が認められ、これを覆えすに足る証拠はない。

1  原告会社の前身である立川飛行機は、大正一三年一一月飛行機の設計、製作等を目的として設立された資本金一〇〇万円の株式会社石川島飛行機製作所が昭和一一年七月商号を変更した株式会社で、第二次世界大戦中北多摩郡砂川町他に立川工場、砂川工場、附属病院、高松寄宿舎及び江ノ島寄宿舎等敷地約一六万二、〇〇〇坪、建物約九七棟、専用側線を擁し、従業員約四万二三三二人を使用し軍用飛行機の研究製作を行つていたが、昭和二〇年八月一五日終戦により事業を閉鎖し、同年九月四日頃から連合国軍に全工場施設を接収され、同月一八日右全従業員を解雇し、整理要員として九〇〇名を再雇傭し、同二一年八月特別経理株式会社に指定され、清算業務に入り、同二四年一一月企業再建整備法に基づき第二会社として新立川航空機株式会社を設立し、更に同三〇年五月開催の定時株主総会において、会社継続を決議し、同時に商号を現在の立飛企業株式会社に変更した。

2  終戦と共に日本に進駐して来た連合国軍のため日本において私用の土地等を接収する必要に応じるため昭和二〇年一一月一七日より私有地の強制収用を目的とする勅令第六三六号土地工作物使用令が施行されたが、政府の実務上の取扱方針として、右勅令による強権的な接収使用を控え、連合国最高司令官の、「調達要求」に基づき政府が当該物件所有者から当該物件を賃借したうえ連合国軍へ提供するという方法がとられていたが、この取扱方針は右勅令施行後も、また、講和条約発行後昭和二七年五月一七日日本国に駐留するアメリカ軍隊の用に供するための土地等の使用収用に関し特別措置法が施行された後も一貫して踏襲されていた(この点については当事者間に争いがない。)。

ところが連合軍に立川飛行機の工場施設を接収された昭和二〇年九月四日頃は終戦後の混乱期で、前記勅令第六三六号も施行されておらず、後に慣行化された第八軍軍政部調達課の調達要求(PD)に基づき日本政府が調達の対象となつた土地建物をその所有者から借上げ、連合国軍の用に供するという方式も確立されていなかつたため、右工場施設は先ず連合国軍により事実上占拠され、その後昭和二〇年一〇月二日付で、終戦連絡中央事務局第三部(当時内務省の一部局として渉外事項につき終戦事務処理を担当していた)から立川飛行場に対し「第八軍司令部が同年九月二九日立川飛行機の工場建物及び飛行場を接取すべき旨を申し入れて来た。」と通報して来たのみで、事実上の接収使用が日本政府より事後承認される有様であつた。

3  その後立川飛行場は右終戦連絡中央事務局のもとで調達事務を行つていた東京都長官に対し度々接収工場施設の使用補償を請求した結果、昭和二〇年九月二九日終戦経理事務担当者東京都長官官房会計課長大野木克彦と立川飛行機との間に江ノ島寄宿舎地区を含む立川飛行機の全工場施設等につき賃貸期間を昭和二〇年九月二九日から本件賃借目的の終了までとする賃貸借契約が締結され、ついで昭和二三年一月頃前記終戦連絡中央事務局から調達業務を引続いだ公法人特別調達庁が昭和二三年四月一日立川飛行機と江ノ島寄宿舎地区につき賃貸期間を昭和二〇年九月二九日より同二四年三月三一日までとする賃貸借契約を締結し、右全工場施設に対する賃料が昭和二二年一〇月以降同二三年九月まで支払われたが、その後の賃料は支払われないまま年月が経過し、昭和二五年二月二〇日に至り、連合国最高司令官の「調達要求」に基づき、原告と特別調達庁との間に江ノ島寄宿舎地区を除く立川飛行機の全工場施設につき賃貸期間を遡つて昭和二三年一〇月一日から同二四年三月三一日とする賃貸借契約が締結された。

4  江ノ島寄宿舎地区は昭和二〇年一〇月頃から暫時アメリカ第七空軍第一三九部隊により占拠され、同部隊は翌年九月頃同地区を撤収したが、右撤収に際し、当時の同部隊右地区担当のアメリカ軍監督官が砂川工場地区及び立川基地の復興建設工事に従事していた建設業者に対し、江ノ島寄宿舎地区にある寄宿舎棟を労務者の宿舎として使用することを許可したため、多勢の労務者が右寄宿舎棟に住み込むこととなつた。昭和二三年三月四日頃前記部隊空軍設備事務所より右建設業者に対し右地区に対する接収解除の通知が、また同月一九日頃右地区に対する電力、水道の供給を三〇日以内に停止する旨の通知がなされたが、当時は住宅が極度に困窮していたので、右寄宿舎棟に入居していた多数の労務者は立退き先もないまま、その後も右寄宿舎棟に居続け、又その後の住宅困窮者が居付くことになつた。

前記昭和二三年四月一日付の特別調達庁と立川飛行機間の土地建物賃貸借は昭和二四年三月三一日の経過により終了したが、特別調達庁は立川飛行機に対し江ノ島寄宿舎地区に対する現実の返還引渡手続も、返還の通知もしなかつた。

立川飛行機はその後も江ノ島寄宿舎地区を含む全工場施設につき特別調達庁に対し使用、補償を請求し、江ノ島寄宿舎地区を除く工場施設については前記のとおり連合国最高司令官の「調達要求」が発され、昭和二五年二月二〇日原告と特別調達庁間に賃貸借契約が締結され、その後も順次該契約が更新された。昭和二七年四月二八日、日米平和条約が発効し、それとともに昭和二六年一二月一日施行の土地収用法の特別法であつた前記ポツダム勅令、土地工作使用令は失効し、それに代るものとして昭和二七年五月一五日特別措置法が施行されたが、江ノ島寄宿舎地区については前記のとおり昭和二三年三月四日頃事実上接収解除となり、その後連合軍最高司令官の「調達要求」が発されなかつたため、特別調達庁との間の賃貸借契約の目的物件からはずされ、特別措置法附則二項の一時使用の対象ともならず、又同法に基づく収用手続も行われなかつた。

5  原告は昭和三六年に東京地方裁判所八王子支部に対し江ノ島寄宿舎地区に仮設建物等を所有し同土地を占拠している四六名を相手方として建物収去土地明渡訴訟(同庁昭和三六年(ワ)第五六号事件)を提起し、昭和三六年一〇月二六日右被告らのうち二〇名と右地区の南側の部分五八八坪(一九四〇・四平方米)を代替地として提供して新たな賃貸借契約を締結する和解をし、その他の被告らのうち任意に立退かなかつた者に対しては確定判決に基づく強制執行によりこれを排除し、昭和四〇年頃までに江ノ島寄宿舎地区のうち本件土地建物を除く部分の占有を回収した。その後昭和四七年九月三〇日本件土地上のフインカム寮が火災により焼失したところ時を移さず、焼跡にはプレハブ住宅の建築が始められたので、原告は直ちに東京地方裁判所八王子支部に対し建築続行禁止の仮処分(昭和四七年(ヨ)第五一六号事件)を申請したが、右仮処分決定がなされない前に右プレハブ住宅が完成し入居が完了したので、原告は右仮処分申請を取下げ、その後昭和四八年に至つて右プレハブ住宅の占有者一五名を相手方として右裁判所に対し占有移転禁止の仮処分(昭和四八年(ヨ)第一五号、同年(ヨ)第七七号)申請をし、該仮処分決定に基づき昭和四八年一月二二日別紙第二物件目録記載の建物等につき右仮処分の執行をした。東京調達局東立川出張所は昭和二八年六月三日江ノ島寄宿舎地区の測量や写真撮影をし、同土地上に不法占拠者らが建てたプレハブ住宅等のあることを確認したが、その撤去等につき何等適切な処置をせず、そのまま放置した。

その後アメリカ軍の横田基地の移転にともない、接収されていた旧立川飛行機の工場施設は順次原告に返還され、昭和五一年五月三一日頃砂川工場、高松寄宿舎及び附属病院が返還されると共に国と原告との間の土地賃貸借契約は終了したが、本訴最終弁論期日である昭和五六年五月二九日現在本件土地上には別紙第二物件目録記載の建物が存し、別紙土地占有者目録記載の建物所有者又は承継人がその各敷地部分を占有し更に本件土地に対する別紙第三物件目録記載の建物(新生寮)には同建物占有者目録記載の者又はその承継人らが居住し、右建物を占有使用している。

三  原告の特別措置法第一一条一項に基づく接収土地等の原状回復請求並びに損害賠償について

原告は、特別措置法施行前に駐留軍によつて接収されその用に供された土地建物で、同法施行後同法附則二項、七項、八項に基づいて所有者に返還されなかつた土地は現実に駐留軍がこれを継続して使用していたか否かにかかわらず、同法第一一条のいう「この法律により駐留軍の用に供した土地」というべきである旨主張するので検討する。

前記認定のとおり本件土地建物の所在する江ノ島寄宿舎地区は昭和二〇年九月四日頃ポツダム宣言受諾にともない日本に進駐して来た連合国軍アメリカ第七空軍第一三九部隊により占拠され、同二一年九月頃まで右の占拠が継続し、原告は右空軍部隊の使用に供する目的で特別調達庁との間で昭和二〇年九月二九日から同二四年三月三一日まで右地区につき賃貸借契約を締結したが、右賃貸借終了後も右部隊軍監督官の許可のもとに右地区の寄宿舎棟に入居した建築労務者が該寄宿舎棟を占拠し、その後建築労務者或は第三者が本件土地上にプレハブ住宅を建てたり、残りの寄宿舎棟である別紙第三、物件目録記載の建物に居住したりして本件土地を不法占拠していることが認められるが、右賃貸借終了後も、右労務者らを連合国軍が雇傭し、或は同軍の監督下のもとに使役し、或は国が右占拠者らに本件土地の使用を許したと認めるに足る証拠はないから、右労務者及び第三者の占有を目して右賃貸借終了後も引続いて本件土地建物が「駐留軍の用に供されていた」ということはできない。

更に特別措置法は日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(以下安全保障条約という)第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定を実施するため、日本国に駐留するアメリカ合衆国の軍隊(以下、駐留軍という。)の用に供する土地等の使用又は収用に関し規定することを目的とする法律であり、同法一一条一項にいう「この法律により駐留軍の用に供した土地等」とは、駐留軍の用に供するため土地等を使用又は収用しようとする場合に防衛施設局長(同法施行当時は調達局長であつた。以下同じ。)が土地等の所有者又は関係人の意見書等の書類を添えて内閣総理大臣に対し使用認定書又は収用認定書を提出し、内閣総理大臣が使用又は収用の認定をなしたうえ、当該防衛施設局長に認定の通知をなし、同人がさらに土地等の所有者及び関係人に対し、使用又は収用しようとする土地等の所在、種類、数量を通知するなど、同法第四条ないし第七条の手続を履践したうえで駐留軍に提供された土地もしくは建物もしくはこれらに定着する物件又は土地収用法第五条に規定する権利をいうことは同法の規定から明らかであるところ、本件土地建物につき何ら右手続が履践されていないことは前項認定のとおりであるから、本件土地建物が特別措置法第一一条一項にいう「この法律により駐留軍の用に供した土地」に当らないことは明白である。

もつとも特別措置法附則二項七項及び八項によると、同法施行の際連合国軍最高司令官の要求に基づく使用を現に継続している土地等で、安全保障条約の効力発生の日から九〇日を経過した後、なお引続いて駐留軍のために使用する必要があるものについて契約が成立しないときは、さらに六月以内の期間だけ一方的に一時使用でき(附則二項)、この一時使用の期間が満了して土地建物等が返還される場合には、原状回復の請求をすることができるが(附則七項及び八項)、本件土地建物については前項認定のとおり昭和二三年三月四日頃事実上接収解除がなされ、同二四年三月三一日には原告と国との間の賃貸借契約も期間満了により終了しているから、昭和二七年五月一五日の特別措置法施行の際「連合国軍最高司令官の要求に基づく使用を現に継続している土地等」とはいえないことは明らかであるから、右附則七項、八項による原状回復請求も認められない。

なお、原告は国の接収財産の返還手続の不備を強調し、これによつて蒙つた損害の賠償を強く求めており、前項認定事実によれば、江ノ島地区の賃貸借契約終了にともなう国(特別調達庁)の賃借物の原状回復並びに引渡手続が極めて杜撰であつたため、同土地が第三者によつて不法占拠され、同地区に対する原告の使用収益が妨げられ、莫大な損害を与えたことは明らかである。

しかし、一方原告も右賃貸借終了後直ちに国からその引渡を受け、第三者によつて不法占拠され国から引渡を受けられない土地建物については賃貸物の返還請求権に基づく原状回復並びに賃料相当の損害金を請求できたにもかかわらず、その権利を行使することなく年月を徒過し、右各権利を時効消滅させ、原告の損害の補填を事実上不能ならしめた点に重大な過誤があつたものといわざるを得ず、一人国の責に帰せしめることはできない。

四  以上の次第で原告の本訴請求は爾余の点につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することにし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 麻上正信 元吉麗子 清水研一)

別紙

地代家賃相当損害金計算書 <略>

第一物件目録 <略>

第二物件目録 <略>

物件配置図 <略>

第三物件目録 <略>

土地占有者目録 <略>

建物占有者目録 <略>

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